福岡県から大分県に海沿いを車で走っていると、中津市の手前に吉富町があります。川沿いのこんもりした竹林の中のちょっと見落としそうな場所に「俥茶屋」があります。こちらは50年以上前から営業しているだんご汁で有名なお店です。古民家をリフォームして古民具などをディスプレイしたいい雰囲気のレストランで、ステーキハウスも併設しています。40年前に父に連れて行ってもらい、その後も何回も訪れていて、だんご汁という、きしめん状のものとか丸く伸ばしたものとありますが、とこちらの手伸ばしのものが自分の中では標準となっています。中津市の県税事務所に行ったついでに訪問したところ、店主に話しかけられたので、子供の頃から食べに来ていたことや豊後高田にゲストハウスを開きたいと思っていることなどをお話しました。店主も新日鉄に勤務していたのを脱サラしてこちらのレストランを開店したそうです。当時は、周囲の人から失敗するからと止められたとのことですが、今では遠くから人が集まる有名店です。お料理も美味しいですが、ご主人の収集した美術品の数々も素晴らしいので、ぜひ、そちらも楽しんでください。 俥茶屋 公式HP http://www.kurumatyaya.jp/index.htmll ギャラリーページは見ごたえあります。
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田染荘小崎の景観は、宇佐八幡宮の荘園として成立し、その後もその14世紀から15世紀の基本的景観が現代でも残されています。住民のみなさんの努力で、これからも田染荘の景観を残す取り組みが行われています。大分合同新聞で「荘園領主」(水田オーナー)を募集していましたので、申し込みしました。オーナーになれば、「荘園米」50kgの他に、田染荘小崎で行われる御田植祭り・収穫祭に参加できるなどの特典があります。これから水田の時期、苗の緑、稲穂の金色、冬のライトアップと見に行くのが楽しみですが、「領主様」として見渡せばよりいい気持ちになれそうです。募集期間は4月28日なので皆様もいかがでしょうか。 田染荘 荘園の里 公式サイト http://tashibunoshou.blogspot.jp/ 個人事業主となったのですから、自分の会計と事業用の会計は明確にしておくことが必要です。と、本に書いてあったので、まず第一として印鑑を作りました。作ったのは、距離にして50メートル先にある土谷印鑑店です。今週始めに通りがかりに思い出してお願いして、ざっとこんな感じでと注文したところ、3日くらいで出来上がり、わざわざ持参して来てくれました。それを持って豊和銀行高田支店に行って、「月波や」の銀行口座を開設して来たのです。口座もできたので、帳簿付けも始めまして、クラウド会計ソフト「freee」で今までの領収書なんかを入力しました。簿記の知識がなくても自動で振り分けしてくれるので複式簿記もかんたん。結果、収入がないんで当然赤字ですが、今までかかった経費などが見えてきました。無題使いできんです。
豊後高田の中心部は、わりあい便利なところで、スーパーマーケットもコンビニもそこそこあります。その中でも新鮮な地元の食材を調達しようと思ったらこちらが一番でしょう。「月波や(仮)」からも近いんで、結構通っています。それに、お弁当やお惣菜も充実してます。一番、お客さんが多いのが午前11時ころ。それ以降は商品が少なくなってしまうこともあります。休日などは遠くからもお客さんが来てまとめ買いしています。最近の一押しは白ネギとマテ貝。マテ貝は潮の満ち引きの影響で出ていない日もありますが・・・あと、落花生も買えます。自宅で焙煎して食べるものいいですよ。 「豊後高田グリーンセンター」 大分のシネマ5disで、4月1日から4月7日の一週間限定で公開されていましたので見に行きました。映画「この世界の片隅に」の片渕須直監督の2009年公開の作品です。
あらすじは、「昭和30年の山口県防府市。新子は大好きなおじいちゃんの語る千年前の町の、ひとりの少女を目の前にいるかのようにいきいきと想いを馳せてその暮らしを辿ってみるのだった。ある日、彼女の通う学校に、都会から引っ越してきた引っ込み思案な少女、貴伊子が転校してきた。なかなかなじめない貴伊子に好奇心旺盛な新子は話しかけ、互いの家を行き来するうちに、いつしかふたりは仲良くなっていく。そして、彼女を学校の仲間に迎え入れるべく力を貸してゆく。」というストーリーです。 「この世界の片隅に」の主人公のすずさんが住んでいた江波は、ちょうど広島の自宅の川向であったために、特に感情移入したように、私は、この映画の舞台となった山口県防府市の隣の徳山市で小・中学校を過ごしましたので、方言も含めて空気感のようなものを大変懐かしく感じました。新子の生まれた時代は、まだ、高度経済成長前で今春から開始となった「ひよっこ」の主人公が同い年くらいかと思います。片渕監督らしく、当時の防府市や子供たちの世界の描写が非常に丁寧で、自分たちの子供時代のエピソードを思い起こさせてくれます。ストーリーを追うというより自分が子供に帰って新子たちと遊んでいる感覚でした。例えば、友達のうちに遊びに行くのに一山超えるなんてことは日常茶飯事でしたし、山中や田んぼに基地を作るなんてことも新子たちと同じようにやっていました。社会が大きく変わる時代でしたので、友達が親の都合で転校するの普通のことで、寂しいながらもまた会えるものだと思っていました。ですから、引っ越しする新子が泣いたりしていないこともリアルな表現だと思います。次の町で起こることを想像してワクワクしているかも。ラストシーンで貴伊子はすっかり山口弁になってしまっているとこなどつい笑ってしまいました。とても気持ちの良い時間を過ごさせてもった映画でした。 映画「マイマイ新子と千年の魔法」公式サイト 「アルフォンソ」の昭和の町店は「月波や(準備中)」から桂橋を挟んで対岸にあり、とても近いです。赤いレンガ造りの印象的な建物で、旧共立高田銀行の建物をリフォームして使っています。本店は草地地区にあり、こちらのお店から車で15分くらいのところにあります。ここのお店には昭和の町へ観光に来た方がよく立ち寄っているようで、特に週末はたくさんお客さんが入っています。神戸出身のご主人が大阪府池田で営んでいた評判のお店を閉め。「マイペースにパンが焼きたい」と奥さんの実家の豊後高田で開店したとのことです。添加物や保存料を使わない小麦の香りがするパンを焼きたいという思いが伝わる美味しいパンです。 アルフォンソ ホームページ さあ、新年度のスタートです。今までの公務員の仕事でしたら、今日あたり転勤した施設で挨拶していたと思います。しかし、これからは豊後高田で腰を据えて頑張ろうと心を決めたので転居もなしです。前に向かって頑張りましょう。ということで、お日柄もいいので個人事業主としての第一歩を踏み出しました。まずは、宇佐税務署に個人事業の開業等届出と所得税の青色申告承認申請書を提出しました。中津県税事務所には、事業開始等申告書を提出しました。どっちも難しい書類ではありませんが、(税法上は)「月波や」が誕生し、私が経営者になったということです。おお、無職ではなくなりました素晴らしい!!早速、「青色申告の本」を買ってきました。まだ収入はありませんが・・・ 今後の活躍に期待したいと思います。
せっかく「月波や(準備中)」の向かいに映画館「玉津東天紅」がオープンしたんで、これからは掛けられる映画は全部見ていこうと決意しました。どうせ見るんなら感想を書いて覚えておきたいですよね。そんなことで、プレオープンに無料上映された「ふたりの桃源郷」について、その感想を記録しておきます。
では、あらすじから、山口放送が25年にわたって記録したドキュメンタリー映画です。山口県岩国市美和町の山奥で暮らす一組の夫婦が主人公です。田中寅男さん・フサコ山夫婦は戦時中に結婚し、寅男さんは兵隊に行きます。南洋戦線から帰った寅男さんは「自分で食うものは自分で作る」という信念で山を自分たちで開拓しはじめます。電気も水道もありませんが立派な開墾農地で野菜も米もつくり、3人のお子さんに恵まれます。その後の高度経済成長時、子供の教育のためを考えて大阪でタクシー運転手を始めます。やがて、寅男さんは65歳で山に帰ることを決意。夫婦ふたりで再び山へ帰ります。映画ではそこからの25年を記録しています。観客は映画の時間経過と同じように二人の生活と老いを体験します。老齢の二人が山で自給自足することは大変ですし、当然、子供・親戚たちは心配します。でも、二人は山から降りることをしません。体が思うようにならなくても、山にいる時の二人は本当に生き生きしていて、周りも結局それに協力するようになります。やがて、体が自由にならなくなった寅男さんが亡くなり、一人残り、認知症になり子供に介護されるフサコさんが亡くなるまでが描かれます。 まずは、KRYよくやった。えらい。一組の夫婦の一生をこんな形で見ることができるのはすごいことです。そして、この映画は素晴らしいラブストーリーでした。また、見た人の年齢や環境それぞれに感想があると思います。私にとっては、仕事を辞めてゲストハウスを起ち上げようとした決意が、決して間違いでないという確信と勇気をもらいました。「玉津東天紅」いい映画をありがとう。 「ふたりの桃源郷」 国東半島は、両子山を中心とした火山体でできており、火山灰や火山弾が押し固まった地層に覆われています。そのため、雨風に侵食されやすいことから絶景の峰や奇岩があり、独特な雰囲気を持っています。それが国東半島が仏教や神道の修行の場になった原因でもあります。また、柔らかい地層であるため石像が作りやすく、暑い信仰心と合わせて磨崖仏が多数作られた所以でもあるところです。そんなブラタモリ的な紹介をしたところで、熊野磨崖仏に行ってきました。先に言っときますが、絶対にハイヒールや雪駄履きで行ったらいけません。臼杵の磨崖仏みたいに直ぐ側まで道路が整備されていないところが修業の場である国東半島の面目飛躍です。鬼が一晩で築いたという磨崖仏に続く階段を登れば、見上げるほどの大きさの不動明王が見えて来ます。大きさはありますが真木大堂にある不動明王のような激しさではなく、おおらかな威厳を感じさせます。お隣の大日如来は柔和なお顔であらゆる悩みを癒やしてくれるような優しさを感じられます。前日の雨で足元が滑りそうになりましたが、天気の良い日で桜がちょっと咲いていました。 自分のルーツが国東半島にあるんで、豊後高田市の「昭和の町」について以前から知ってはいました。しかし、十数年前は「なんか古臭い商店街を観光客向けに飾っとるんじゃろうで」くらいに思っていました。この度、移住を考えた際に、改めて豊後高田市について調べてみて、いろんなことがわかりましたが、特に豊後高田市の中心商店街は、過去には国東半島で一番賑やかな町だったようです。特に海運については、ここから瀬戸内海を通り、京阪神に船で物資の往来をしていたというのですから賑やかになるのも当然です。一方、鉄道や交通網が整備され、高度経済成長の時代になると、北九州の鉄鋼産業の方に経済の中心は移っていきます。そのため、父も豊後高田から出て、小倉で働くようになります。私もそこで生まれました。商店街も寂れたわけです。そして、平成13年から「昭和の町」として町おこしを開始し、いまでは年間約40万人もの来訪者を迎える商店街になりました。大型の開発事業ではなくてもここまでできるというモデルとなったということです。 |
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