せっかく「月波や(準備中)」の向かいに映画館「玉津東天紅」がオープンしたんで、これからは掛けられる映画は全部見ていこうと決意しました。どうせ見るんなら感想を書いて覚えておきたいですよね。そんなことで、プレオープンに無料上映された「ふたりの桃源郷」について、その感想を記録しておきます。
では、あらすじから、山口放送が25年にわたって記録したドキュメンタリー映画です。山口県岩国市美和町の山奥で暮らす一組の夫婦が主人公です。田中寅男さん・フサコ山夫婦は戦時中に結婚し、寅男さんは兵隊に行きます。南洋戦線から帰った寅男さんは「自分で食うものは自分で作る」という信念で山を自分たちで開拓しはじめます。電気も水道もありませんが立派な開墾農地で野菜も米もつくり、3人のお子さんに恵まれます。その後の高度経済成長時、子供の教育のためを考えて大阪でタクシー運転手を始めます。やがて、寅男さんは65歳で山に帰ることを決意。夫婦ふたりで再び山へ帰ります。映画ではそこからの25年を記録しています。観客は映画の時間経過と同じように二人の生活と老いを体験します。老齢の二人が山で自給自足することは大変ですし、当然、子供・親戚たちは心配します。でも、二人は山から降りることをしません。体が思うようにならなくても、山にいる時の二人は本当に生き生きしていて、周りも結局それに協力するようになります。やがて、体が自由にならなくなった寅男さんが亡くなり、一人残り、認知症になり子供に介護されるフサコさんが亡くなるまでが描かれます。 まずは、KRYよくやった。えらい。一組の夫婦の一生をこんな形で見ることができるのはすごいことです。そして、この映画は素晴らしいラブストーリーでした。また、見た人の年齢や環境それぞれに感想があると思います。私にとっては、仕事を辞めてゲストハウスを起ち上げようとした決意が、決して間違いでないという確信と勇気をもらいました。「玉津東天紅」いい映画をありがとう。 「ふたりの桃源郷」
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国東半島は、両子山を中心とした火山体でできており、火山灰や火山弾が押し固まった地層に覆われています。そのため、雨風に侵食されやすいことから絶景の峰や奇岩があり、独特な雰囲気を持っています。それが国東半島が仏教や神道の修行の場になった原因でもあります。また、柔らかい地層であるため石像が作りやすく、暑い信仰心と合わせて磨崖仏が多数作られた所以でもあるところです。そんなブラタモリ的な紹介をしたところで、熊野磨崖仏に行ってきました。先に言っときますが、絶対にハイヒールや雪駄履きで行ったらいけません。臼杵の磨崖仏みたいに直ぐ側まで道路が整備されていないところが修業の場である国東半島の面目飛躍です。鬼が一晩で築いたという磨崖仏に続く階段を登れば、見上げるほどの大きさの不動明王が見えて来ます。大きさはありますが真木大堂にある不動明王のような激しさではなく、おおらかな威厳を感じさせます。お隣の大日如来は柔和なお顔であらゆる悩みを癒やしてくれるような優しさを感じられます。前日の雨で足元が滑りそうになりましたが、天気の良い日で桜がちょっと咲いていました。 自分のルーツが国東半島にあるんで、豊後高田市の「昭和の町」について以前から知ってはいました。しかし、十数年前は「なんか古臭い商店街を観光客向けに飾っとるんじゃろうで」くらいに思っていました。この度、移住を考えた際に、改めて豊後高田市について調べてみて、いろんなことがわかりましたが、特に豊後高田市の中心商店街は、過去には国東半島で一番賑やかな町だったようです。特に海運については、ここから瀬戸内海を通り、京阪神に船で物資の往来をしていたというのですから賑やかになるのも当然です。一方、鉄道や交通網が整備され、高度経済成長の時代になると、北九州の鉄鋼産業の方に経済の中心は移っていきます。そのため、父も豊後高田から出て、小倉で働くようになります。私もそこで生まれました。商店街も寂れたわけです。そして、平成13年から「昭和の町」として町おこしを開始し、いまでは年間約40万人もの来訪者を迎える商店街になりました。大型の開発事業ではなくてもここまでできるというモデルとなったということです。 |
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